自分は予備校に行くまで国語と言う分野を自主的に勉強したことはない。しかし、これまで国語と言う教科が足をひっぱたのは前回のセンター試験ぐらいで(それが一番大きい痛手なのだが・・苦笑)、むしろ国語は得意分野の方に入る。特に記述が得意。漢字においてはドリル、問題集などを一回も使ったことはないがテストで間違えることはほとんどなく、あったとしても、他の人も間違えるような漢字なので影響はない。

では、なぜこんなことで国語の成績がそこそこいいのかと言うとやはり読書のおかげであろうと思う。第一部でも少し述べたが僕は幼少の頃から小学生になるまで、一日一冊本を読むことがしつけられていた。(それはもちろん絵本から始まったことは言うまでもない。)小学中学年の頃には、夏目漱石などの文学作品を読んでいた(もちろん一日で読むのではなく、一冊二、三日で読んでいた。)四年、五年では推理小説にはまり、六年では歴史ものにはまった。
習慣というのは恐ろしいもので子供の頃は強制で読まされていたが、小学生の頃からは進んで図書館に足を向けるようになってしまった。だいたい、一日遊びまわって(スポーツが中心)、夕方がわずかばかりの勉強、夜が読書というサイクルで回っていた。

そして、やっと読むことに飽きてきて、中学から高一までは剣道にはまるようになった。そして、勉強量も、遊ぶ量も次第に増え増え、部活帰りなどでクタクタの僕は読書をする余裕がなくなり、読書は一時閉幕と相成った。文字による読書は・・・。そう中学からは漫画にはまるようになったのだ(笑)漫画という存在があることはアニメは普通に見ていたので知っていたがさしたる興味を持ちあわせていなかった。しかし、今でも忘れられないがスイミングスクール(幼稚園から習っていた。中二でやめた。中三の受験が原因)の帰りにふと立ち読みした『名探偵コナン』がおもしろく、それがきっかけに何でも手を出す性格の自分は次々に読んでいった。中三の受験を迎えるまでには大半の少年漫画は読んでしまったのである。なんといっても漫画は読む時間が少なくてすむ。大体一冊二十分くらいで当時は読むことができ、今では十五分とかからない。(分厚さにもよるが)友達と一緒に読む機会があると必ず言われることが読むのが早いと言うことである。絵しか見ていないのではという人も何人かいたが、内容を言ってやると信じられないといった顔つきになる。これは、文学の読書でも言える事が後の国語のテストや、借りた本を返す早さから判明した。そう、幼い頃からの読書効果は本を読む早さにも影響していたのだ。絵ばかりの漫画ならなおさら早く読めちゃうのは言うまでもない。これだと読む時間も十分にあったため、読書は文学から漫画へと中学時代は移行した。高校生になり部活も怪我で止めると、時間に余裕ができまた様々なことに手を出した。そして、文字の読書への懐かしみも現れ、高二、三は読書(といっても、主に小説や歴史物、推理物、外国小説で文学作品はほとんど読んでいない)を中心に漫画を少々の並行型になった。しかし、高三の六月頃になると受験勉強に力を入れなければならなく当然読書を読む時間もなくなり、されど勉強ばかりは耐えられず本を読みたい欲求は収まらなかった。そんな時、友達から借りたファンタジー小説をよみ今度はそっちにはまった(笑)なにしろ、一冊一時間くらいで読み終わるから丁度いい気分転換になりどんどん読んでいった。ファンタジー小説は女子の読み物とばかり思っていたが、スレイヤーズ、オーフェンなどは一概にそうも言えなく中身もしっかりしていてコミカルさも混じっていて実に気分転換にいい本だった。浪人時代は日曜に本屋にいき、気に入った作品(大体は新書、小説、漫画、ファンタジー小説)があれば、買ってきて読んでいる。

こうして考えてみると読み物は本当にどんなジャンルでも読んでいるなあと思う。読書は僕に膨大な知識、想像力、考え方を与え人生におおきな貢献をしていると思う。これも全て親のしつけからのおかげであり、当時は恨んでいたが、今は感謝の嵐である。

読書はとてもいい。もちろん運動も、ほかの文科系もいいのだが、そっちの話は後日したいと思う。

これから、たまにブックレビューをしたいと思う。そのときは一読してくれると嬉しい。(時間の都合もあり文学作品、現代小説は遠慮させてもらいます。いい加減なことをかけないジャンルなので。大学生になったらどんどん紹介します。だから、もっぱら漫画、ファンタジー小説、推理もの、歴史物にさせてもらいます)

ではでは・・・

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