時間を生きる
2004年5月6日センタ-まで後約250日。すなわち、新年まで約230日。あと、わずか七ヶ月・・・。時間がたつのは早い。現役生よりは二年長く、一浪生よりは一年長く時間があったはずだけど、あいかわらず時間がなく、あせりが見え始める。文系は覚えることが無限にあるので勉強にその身を費やせるが、理系にいたると多浪生はやることがなくなり、ただ、ただ焦るばかりだと言う。
昨日の小論の文章にはこんなことが紹介された(受験生バージョンで)
次の入試まで物質的な時間の量は、みな一年くらいで同じ量であり平等である。しかし、その時間が支配する中で、人は『時間を生きる人』と『時間に生かされる人』に分けられるのである。この二年間、僕は後者から前者へと変わって言った。今はほぼ前者の人が持つ時間意識を備えていると実感しつつある。しかしながら、まだ完全には変化していないのだから更なる努力が必要である。勉強にというよりは生きる姿勢にである・・・。僕は生きているのだから無様な人生模様にはしたくない。
不慮の事故というものは唐突に起こる・・。地元で有名になってきた稀代の天才児が、帰省中に母親とともに事故により逝去した。妹がいたのだが、彼女は学校の部活活動のため、地元に残り難を逃れたらしい。彼女は知らせを知った次の日から普通に部活活動に来ていたらしい。このとき、まだ父親は生死の境にいたらしい。そんな中、彼女は自分のできることをした。自分の心中に耐えながら・・(父親は幸いなことにこのあと命を取り留めたらしい)
彼女はまさに、『時間の中を生きる人』なのだろう。今日、この話を聞いたとき、僕はふいに涙が流れた。
何にって?
生きることの難しさ、命のはかなさへの悲しみ、逆に、彼女の心の強さに胸を打たれ、そして彼女の対極に位置してきた今までの自分の不甲斐無さが、情けなくなったのである。
直接的には知らない家族だが、様々な事を考えさせられた。
何が起こるかわからない人生を生かされるのではなく、生きてやろうと思うばかりである。
最後に他界した二人にご冥福をお祈りします。そして、残された二人のこれからに幸あらんことを。
追伸:今日の勉強、講義はいつもどおりです。
昨日の小論の文章にはこんなことが紹介された(受験生バージョンで)
次の入試まで物質的な時間の量は、みな一年くらいで同じ量であり平等である。しかし、その時間が支配する中で、人は『時間を生きる人』と『時間に生かされる人』に分けられるのである。この二年間、僕は後者から前者へと変わって言った。今はほぼ前者の人が持つ時間意識を備えていると実感しつつある。しかしながら、まだ完全には変化していないのだから更なる努力が必要である。勉強にというよりは生きる姿勢にである・・・。僕は生きているのだから無様な人生模様にはしたくない。
不慮の事故というものは唐突に起こる・・。地元で有名になってきた稀代の天才児が、帰省中に母親とともに事故により逝去した。妹がいたのだが、彼女は学校の部活活動のため、地元に残り難を逃れたらしい。彼女は知らせを知った次の日から普通に部活活動に来ていたらしい。このとき、まだ父親は生死の境にいたらしい。そんな中、彼女は自分のできることをした。自分の心中に耐えながら・・(父親は幸いなことにこのあと命を取り留めたらしい)
彼女はまさに、『時間の中を生きる人』なのだろう。今日、この話を聞いたとき、僕はふいに涙が流れた。
何にって?
生きることの難しさ、命のはかなさへの悲しみ、逆に、彼女の心の強さに胸を打たれ、そして彼女の対極に位置してきた今までの自分の不甲斐無さが、情けなくなったのである。
直接的には知らない家族だが、様々な事を考えさせられた。
何が起こるかわからない人生を生かされるのではなく、生きてやろうと思うばかりである。
最後に他界した二人にご冥福をお祈りします。そして、残された二人のこれからに幸あらんことを。
追伸:今日の勉強、講義はいつもどおりです。
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